私は最近ずっと考えています。
それは5月のゴールデンウィークのこと。
私は、おじいちゃんに会いに行っていました。
おじいちゃんに久しぶりに会えて
すごくうれしくって
沢山話をしていた時におじいちゃんが
ぽつりといったことです。
(じ)『おじいさんやっぱし言葉が出てこんでしょう?』
(ゆか)「なんいっとるかね。達者だがんっ」
『無理せんでもいいわね。最近ひつごに人の目が気になーわね』
「え?なんかいわれたかね??」
『いやー言われてはないけど、やっぱわかるね。
信じれんくなってくーよ。挨拶されんくなってきたし、
すごい見られるけんね。最近はひとに喋りかけられんく
なってきたわね。』
「そんなに見られるかね?」
『うーんそうだよぉ!人っていうのはそういうもんだわね。』
「そうかぁ、でもそれはおじいちゃんが考え過ぎてるかも
しんないよ??気にしすぎだわね。」
『いやー、わかるわね。目見ればやっぱ分かーよ』
「そんなんほっちょけばいいわね。信じれるひとだけで
楽しくやってこうよ♪」
『そげだねぇ。いやほんとになにげなくやる毎日の暮らしが
本当に楽しいよ。また休みになったらゆかさん帰ってきてごすだよ』
…そういう会話。もうあたしの頭からその時の情景、
おじいちゃんのさみしそうな顔、会話が離れない。
すごくさみしい気持ちになったのを覚えてる。
会話しながら、目があつくなってきて
本当に泣く寸前だった。
でも泣いたらだめだ!!そう思って必至にこらえた。
ベロ噛んで、親指に爪立てて我慢した。
おじいちゃんこんなにも悩んでる。
あの悲しそうな、さみしそうな顔、考えるともうたまらん。
んもう我慢したけど、結局影で泣いてしまった。
悔しかった。あーくそぉ!て感じで
歯くいしばって泣いた。
だってすごくつらいことだよね。
一か月前まで、一週間前まで、昨日まで普通に
会話していた近所の人が今日は自分をいつもとは
違う目で見てくるなんて…
どうして病気ってだけで見る目が変わるんだろう。
どうしてさみしそうな目で、かわいそうって目で
見られなくちゃいけないんだろう。
私も、もしかしたらそうだったのかな…
人ってさみしい生き物だね。
ああ、私はどうしたらよかったんだろう。
おじいちゃんの悩みを聞くことしかできなかったよ。
私にはどうすることもできない。
こんなに歯がゆいことなんてない。
辛いなぁ。これからこんなに辛いことがたっくさん
おじいちゃんにはあるんだよね。
どうしたらいいんだろう。耐えていくしかないのかな…
その痛みはどうしたら和らげることが
できるのかな…
自分にもできるのかな。
無力なあたし。ぴーぴー辛い辛いって騒いで
本当に辛いのはおじいちゃん本人なのにな。
少しずつ、少しずつ、
力になれることを見つけていきたいな。
自分にも絶対力になれることがある。
それからひとつ、言いたいことがある。
おじいちゃんはかわいそうじゃないよ。
おじいちゃんは幸せなんだよ。
だって、家族みんなが支えようとしてる。
そういうのって病気になったときにでもないと
気づけないもんだよね。
それを気付けたって幸せ者だよ。
気づけなかった人もいると思うもん。
普通のことだなんておもってちゃ
だめよねっ。普段の生活が遅れていること、
生きていることが幸せなんだよね。
気づけたおじいちゃんは幸せ者だよ。
かわいそうなんかじゃない!!